【総説】シングルセル遺伝子発現解析と細胞集団

遺伝子発現解析の変遷

遺伝子発現解析は細胞の表現型を示すことから生物学や医学の分野で多く使用されている。遺伝子発現解析は古くはNorthern blottingが主流であったが、PCR法の開発により多くの遺伝子の発現量を比較的簡単に測定できる様になった。その後、1995年にDNAアレイ(Science 270: 467, 1995)やSAGE法(Science 270: 484, 1995)が開発され、数個から数千個の遺伝子を観測出来るようになった。それと並行して開発された次世代シークエンサーが測定出来る転写産物を飛躍的に増加させ検体中のほぼ全ての転写産物の解析を可能にした。一方で微量でそのままでは解析できない遺伝子をPCRやT7RNAポリメラーゼ(Methods 10: 283, 1996)などにより増幅し測定系に乗せる技術の開発も多く行われ、これを1細胞解析に応用し、Quartz-Seq (Genome Biol. 14: R31, 2013)やSmart-Seq (Nat protoc. 9: 171-181, 2014)などの遺伝子発現解析が行われてきた。それらの研究の流れから次に研究者が目指したのは包括的1細胞遺伝子発現解析技術の開発であった。近年、Fluidigm社により数百細胞程度の遺伝子が解析出来る機器C1により解析がなされてきた。しかし、このレベルでは多様性が大きな場合や細胞の大きさに違いがある場合に測定するには不向きであった。そこでこれらを克服する方法が必要となり、我々の研究室も含めて幾つかの研究室で包括的な1細胞遺伝子発現解析法であるDrop-seq (Cell 161:1202, 2015), Well-seq (Nat Methods 14:395, 2017), Nx1-seq (Adv Exp Med Biol. 1129:51, 2019)さらロボットを用いた自動化によるMARS-seq (Science 304: 776, 2014)などが開発された。どの方法も基本的には核酸にバーコード配列を付けて個々の細胞を分類、同定することを基本にしており、a)極小の限られたスペースでの細胞の溶解、b)細胞内のRNAの捕集とその為の単体(マイクロビーズやプレート)、c)それを行う為の装置、からなっている。これらの技術を用いて商業化されたデバイス(Chromiumシステム;10xGenomics、ddSEQ™ Single-Cell Isolator ;BioRad, Rhapsody;BD)などが発売されている。現在、これらの方法を用いて多くの細胞/組織中の多様性が研究されている。さらに多種類の細胞から特定の細胞を集団ごとに可視化するtSNEやUMAP解析法(Nat Biotechnol. doi: 10.1038/nbt.4314, 2018)を使ってその特徴を明らかにするデータ解析手法についても研究が進んでいる。

シングルセル遺伝子発現解析の適応

1細胞解析は、個々の細胞集団、さらには組織微小環境全体の多様性を解析でき、疾病における細胞間相互作用、特異的マーカー遺伝子の探索、薬物治療抵抗性の制御機構などの研究にとって非常に有用である。最近、我々もヒトがん組織における多様性を1細胞遺伝子発現解析により調べた。新鮮ヒト子宮体がん組織から内膜側と筋層浸潤側の2部位を同時にNx1-seq法により解析した(Sci Rep. 7:14225, 2017)。その結果、がん細胞や浸潤免疫細胞の多様性が両側で異なり、特に内膜側ではがん幹細胞様細胞が高頻度で存在していた(図)。がん組織内の部位によっても細胞集団が異なっており、微小環境による変化が異なった細胞集団を形成し、それが病態に影響を与えていると考えられた。また最近、炎症における免疫細胞やがん細胞が組織に移行すると、それぞれの細胞は組織特異的ニッチにより提供される分子的刺激によって分化や影響を受け、局所的組織機能を支持する特別な細胞へと変化することが1細胞解析により示されている(Cell 176:1265, 2019, Science 363, eaau0964,2019)。

一方で各組織のカタログ化も進んでいる(Nature Commun. 9:4383, 2018, Nature 562:367, 2018)。さらにこの一環として現在、国際プロジェクトの1つとして人体を構成する推定37兆個の細胞を網羅するカタログをつくるプロジェクト、Human Cell Atlas (https://www.humancellatlas.org)が進められている。一つ一つの細胞で発現している遺伝子を解読し、異なるタイプの細胞が体のどこに存在するかを特定し、細胞間の分子のやりとりを解明する壮大な計画である。

おわりに

今回、遺伝子発現について紹介したが、実際には1細胞におけるATAC-Seq(Nature Medicine 24:580, 2019)などのエピジェネティック解析、ゲノム解析など多くの解析法が発表されている。さらに最近、1細胞のタンパク質検出とトランスクリプトームを同時に測定するCITE-seq /Ab-seq法(Nat Methods 14:865, 2017)も開発されている。これはDNAバーコードが結合した抗体を用いて特定の細胞を標識することにより、抗体が認識するタンパク質に対するバーコードと通常の細胞バーコードを解析することを基本としている。この様に多くの方法が開発されており、今後、これらを統合した解析により1細胞の状態や細胞間の相互作用が詳細に理解されると予想される。包括的な1細胞遺伝子発現解析は、複雑な生物系における細胞の多様性への理解を劇的に変化させ、炎症組織の未病状態の解析だけでなく腫瘍細胞分析、感染症、免疫療法および予防接種、治療開発のモニタリングの診断など新たな臨床応用を解析するのに役立つと考えられる。

実験の参考に

最後に少しだけ解析における問題点も上げておくので今後の参考して頂ければと思う。サンプルの単離は、得られた時の状態によっても異なるが、1細胞解析を成功させるためには細胞分散に伴う細胞の高生存率、細胞片(RNaseの含有率が高い)の低混入が必須であると言っても過言でない。加えて、冷凍、固定したサンプルではmRNAが壊れやすく注意が必要である。

一方、Chromiumシステムなどのバーコードビーズ/ゲルを使い包括的に細胞を観察する方法は、SMARTSeq2 protocol (Nat. Methods 10:1096, 2013)などに比べて感度が悪く、1細胞当りのmRNA量が少ない血液細胞では、SMARTSeq2/ MARS-seqを使って観察している研究者が多い。だた、ウェル(384 ウェル等)に対して異なったバーコードprimerを使用するので手間がとコストがかかる。どちらの系で観察するかは細胞中のRNA量や目的とする遺伝子を考えた上で行うと良い。


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