神経の暴走を防ぐブレーキ作動の瞬間を捉える!
— SPring-8・NanoTerasuでの高精度構造解析と最先端1分子計測を融合し、神経活動を調節するイオンチャネルの「緩やかなブレーキ」の仕組みを解明 —

| 発表日 | 令和8年10月3日(土) |
|---|---|
| 発表者 | 薬学部 薬品物理化学研究室 准教授 入江克雅 |
1. 本研究の要点(ポイント)
- イオンチャネルがキュッと狭まることによる「緩やかなブレーキ」作動時のリアルタイムな動きを世界で初めて捉えた
- イオンチャネルの離れた2つの扉を連動させる仕組みを原子レベルで特定
- 身近な麻酔薬リドカインの効き方を分子レベルで視覚化
- てんかんや不整脈に対する副作用の少ない新薬の開発へつながる重要な発見
2.研究概要
和歌山県立医科大学の入江克雅准教授(薬学部薬品物理化学研究室)、真栄田有紀(大学院医学研究科博士課程4年生)らの研究グループは、米国ミズーリ大学カンザスシティ校のShizhen Wang教授らとの国際共同研究により、神経や筋肉の電気信号をコントロールするイオンチャネル*1が過剰な興奮から細胞を守るために備えている「緩やかなブレーキ機構(遅い不活性化)」*2の作動の瞬間をミリ秒(1000分の1秒)単位のリアルタイムな分子の動きとして世界で初めて直接観察することに成功しました。
本研究では、大型放射光施設SPring-8および3GeV高輝度放射光施設NanoTerasuのビームラインを活用した高精度なX線結晶構造解析により、チャネルの精密な原子構造やアミノ酸同士の噛み合わせを決定しました*3。そこに最先端の1分子FRET測定*4,5による動的観察を融合させることで、「静止構造(写真)」と「リアルタイムの動き(動画)」を補完し合い、長年の謎であったイオンチャネルの緩やかなブレーキの分子メカニズムを包括的に解明しました。
本研究成果は、2026年10月3日付にイギリス科学誌『Nature Communications』に掲載されました。
3. 研究の背景:イオンチャネルのアクセルとブレーキがつかさどる命の電気信号
私たちの体の中では、脳からの指令が神経を伝わったり、心臓が休むことなく拍動したりするために、細胞の膜を流れる微小な電気信号が使われています。この電気信号を調節しているのが、細胞の表面に存在するイオンチャネルというタンパク質です*1。
イオンチャネルの代表例である「電位依存性ナトリウムチャネル」は、電気的な刺激を受けると瞬時にナトリウムイオン(Na⁺)を細胞内にどっと流れ込ませ、神経活動や心拍動のアクセルを踏むように電気信号を発生させます。しかし、このアクセルがかかりっぱなしになると電気信号が暴走し、てんかん発作や不整脈、激しい慢性的な痛みを引き起こしてしまいます。
そのためナトリウムチャネルには、自転車の前輪と後輪でブレーキの効き方が異なるように、役割の異なる2段階のブレーキが備わっています。「素早いブレーキ(高速不活性化)」は1回の電気信号の直後に、数ミリ秒(1000分の数秒)で即座にナトリウムチャネルを止める役割を果たします。それに対して、もう一つの「緩やかなブレーキ(遅い不活性化)」*2は強い刺激や連続した興奮が続いたときに、細胞が焼け切れないよう数秒〜数分間にわたってナトリウムチャネルを深く休止させます。
この「緩やかなブレーキ」は異常興奮を防ぐなど生命維持に極めて重要ですが、ナトリウムチャネルという目に見えない小さな分子が「どのように形を変えてイオンを止めているのか」は、過去数十年間にわたり世界中の研究者の間で議論が分かれる大きな謎でした。
4. 研究の成果:高精度な「静止構造」と1分子の動きを測る「ナノ定規」の融合
本研究では、大型放射光施設SPring-8および3GeV高輝度放射光施設NanoTerasuの強力なX線ビームラインを利用してナトリウムチャネルの立体構造を決定することで、「緩やかなブレーキ」の形を原子レベルの解像度で観察することに成功しました*3。
この超高精度な構造基盤の上に、ナトリウムチャネルのイオンの通り道を蛍光物質で標識し、この蛍光物質間のFRET現象をリアルタイムで計測することで距離変化を測る最先端技術である1分子FRET*4,5による動的観察を組み合わせました。これにより、「静止構造(写真)」と「リアルタイムの動き(動画)」を統合した解析が実現しました。

成果1:緩やかなブレーキの正体は「通り道がキュッと狭まるゆらぎの増加」
1分子FRET観察の結果、ナトリウムチャネルのイオンの通り道は「広がった状態」「中間の状態」「狭まった状態」の間をゆらゆらと揺れ動いていることがわかりました。
電気刺激(電位変化)を与えると、通り道がキュッと狭まる「高FRET状態」に滞在する割合(時間)が目立って増えることが判明しました。SPring-8やNanoTerasuで決定した結晶構造と照らし合わせることで、この「通り道が狭まるゆらぎの状態」こそが、緩やかなブレーキ(遅い不活性化)の本当の姿であることを突き止めました。

成果2:イオンチャネルの中の「分子の歯車」
イオンの通り道には、細胞の外側と内側に2つの扉が存在します。外側の扉の近くにあるロイシン残基(Leu176)と、内側の扉の近くにあるスレオニン残基(Thr206)が、分子内部で物理的に噛み合って歯車のように機能していることが原子レベルで判明しました。
外の扉の歯車(Leu176)を大きなアミノ酸に書き換えた変異体(L176F)の結晶構造を解析したところ、内の扉が開こうとするのを力づくで抑え込むことで強制的に扉を閉じさせ、自動ブレーキを作動させている立体配置が確認されました。 逆に、相手側の歯車(Thr206)を小さくするとこの連動が外れ、緩やかなブレーキがかかりにくくなることが1分子FRETで証明されました。
これは、遠く離れた2つの扉が分子の内部で歯車をを噛み合わせ、お互いに連絡を取り合いながら連動ブレーキをかけていることを初めて証明した画期的な発見です。

成果3:日常で使われる麻酔薬「リドカイン」の効き方を可視化
歯科治療や手術で使われる局所麻酔薬であるリドカイン」*6を作用させたところ、リドカインの量に応じて、通り道が狭まる緩やかなブレーキ状態の出現回数が減ることが分かりました。リドカインはチャネルの開構造に結合することが知られており、これがチャネルの内部にスッと入り込むことで、通り道の「ゆらぎ」を開構造に固定して興奮の伝達を抑える様子が今回目に見える形で証明されました。
5. 今後の展望:「緩やかなブレーキ」の仕組みをを活かした次世代の創薬へ
本研究は、SPring-8やNanoTerasuによる「超高精度な構造解析」と、最先端の「1分子FRET」を融合させることで、長年謎だったナトリウムチャネルの緩やかなブレーキ(遅い不活性化)の仕組みを世界で初めて明らかにしました。
この緩やかなブレーキの故障はナトリウムチャネルの暴走を引き起こし、様々な難病の原因になります。従来の治療薬の多くはナトリウムチャネルの通り道を強引に塞いでしまうため、正常な神経や心臓の働きまで止めてしまうことによる副作用が大きな壁となっていました。本研究によって、チャネルの精密な原子構造と「どのように原子が揺らぎ、どのように分子内の歯車を噛み合わせて緩やかなブレーキをかけるか」という仕組みが解明されたことで、過剰に興奮したときだけ緩やかなブレーキをサポートすることで安全に細胞を休ませることができる、副作用が極めて少ない画期的な新薬の開発が加速することが期待されます。
6. 用語の解説
*1 電位依存性ナトリウムチャネル:細胞の電気信号を司る膜タンパク質であるイオンチャネルの一種。刺激を受けると開き、ナトリウムイオン(Na⁺)を細胞に入れて電気信号を走らせるためこの名前がついている。
*2 遅い不活性化:電気信号が過剰に走り続けた際に、細胞が焼け切れるのを防ぐため、数秒〜数分間にわたってナトリウムチャネルを休止させる仕組み。自転車で前輪と後輪のブレーキを使い分けるように、急速な制御とは別にじっくり効かせることができる。
*3 SPring-8 / NanoTerasu:世界最高水準のX線(放射光)を生み出す大型実験施設。タンパク質の原子レベルでの精密な3次元立体構造を調べるために使用した。
*4 蛍光共鳴エネルギー移動(FRET: single-molecule Fluorescence Resonance Energy Transfer)現象:2つの蛍光色素が超至近距離(1〜10ナノメートル)に近づいたときだけ、音叉の共鳴のようにエネルギーが移って光の色が変わる物理現象。
*5 1分子FRET:1つのタンパク質分子内部の距離変化をFRETの変化でリアルタイム計測する最先端技術。色素同士が近づくとFRET現象により光の色が変わるため、分子の動的な立体構造の変化を捉える「超精密なナノ定規」として機能する。
*6 リドカイン:イオンチャネルの動きを抑える局所麻酔薬。歯科治療の麻酔や不整脈の治療で日常的に使われている。
7. 掲載論文情報・研究グループ
論文タイトル:The structural dynamics and molecular coupling in the slow inactivation of a prokaryotic voltage-gated sodium channel
(原核生物電位依存性ナトリウムチャネルの遅い不活性化における構造ダイナミクスと分子結合)
掲載誌:Nature Communications(2026年10月3日 オンライン公開)
DOI: [10.1038/s41467-026-78235-z] (https://doi.org/10.1038/s41467-026-78235-z)
著者: Katsumasa Irie*#, Shuo Han*, Sarah Applewhite, Yuki K. Maeda, Joshua Vance, Shizhen Wang# (*同等貢献著者、#責任著者)
研究グループ・所属
和歌山県立医科大学 薬学部 薬品物理化学:
入江克雅、真栄田有紀(和歌山県立医科大学大学院医学研究科博士課程4年生)
米国 ミズーリ大学カンザスシティ校 理工学部:
Shizhen Wang、Shuo Han、Sarah Applewhite、Joshua Vance
8.研究支援
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)創薬等先端技術支援基盤プラットフォーム(BINDS: JP22ama121001, JP25ama121001等)の支援を受け、大型放射光施設SPring-8のビームラインBL41XU, BL45XUおよび3GeV高輝度放射光施設NanoTerasuのビームラインBL09Uを利用してX線結晶構造解析を実施しました。また、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(17K17795, 21K19332, 20K09193, 24K02168)、米国国立衛生研究所(NIH: 1R01GM142816)、公益財団法人武田科学振興財団、公益財団法人発酵研究所(IFO)、公益財団法人SEIグループCSR Foundationの支援を受けて実施されました。