認知症に対する新たな生体防御機構の発見 〜アストロサイトのTRPA1活性化が、LIF産生を介して白質傷害や認知機能障害を防ぐ〜

発表日 令和5年7月22日(土)2:00~
  1. 概要

    アルツハイマー病や血管性認知症をはじめとする認知症は、超高齢社会を迎え、患者数の増加が大きな問題となっています。認知症の病態においては、高血圧・糖尿病・脂質異常症などの生活習慣病が危険因子として知られており、最終的に神経細胞死に至ります。近年、その過程の病態メカニズムとして、生活習慣病による動脈硬化と血管狭窄により、脳が慢性的な低血流状態におちいり、髄鞘を形成するオリゴデンドロサイトの機能異常や細胞死である「白質傷害」が起こり、神経細胞死に至る前の段階で、認知機能障害などの神経機能異常を引き起こすことが明らかになりつつあります。しかし、そのメカニズムにはまだ多くの未解明な点があり、さらに生体が持つ防御機構についてもほとんどわかっていませんでした。

    抱 将史 和歌山県立医科大学 薬学部 助教(研究当時 京都大学薬学研究科 博士課程大学院生)および白川 久志 京都大学薬学研究科 准教授らの研究グループは、シナモン主成分のシンナムアルデヒド(CA)やワサビ主成分のアリルイソチオシアネート(AITC)、そして温和な熱や活性酸素種(ROS)にも感受性のあるTRPA1チャネルの遺伝子欠損マウスを用いて、脳血流を慢性的に低下させることで白質傷害をへて認知機能障害に至る『血管性認知障害』の病態モデル(慢性脳低灌流BCASモデル)を作製し詳しく調べたところ、BCAS手術によりTRPA1遺伝子欠損マウスでは、対照群の野生型マウスよりも早期に白質傷害および認知機能障害がおきることを発見しました。さらに詳細に調べたところ、脳で最も多いグリア細胞であるアストロサイトに発現しているTRPA1の活性化が、髄鞘形成促進作用を持つサイトカインである白血病阻止因子(LIF)の産生を介してオリゴデンドロサイト前駆細胞を分化させて白質傷害を抑制していること、シナモン主成分であるシンナムアルデヒド(CA)でTRPA1を刺激し続けると白質傷害が抑制されて認知機能障害がおきなくなることを見いだし、アストロサイトのTRPA1活性化が、認知症に対する生体防御機構として働いていることを明らかにしました。

    認知症に対する新たな生体防御機構の発見 〜アストロサイトのTRPA1活性化が、LIF産生を介して白質傷害や認知機能障害を防ぐ〜

    慢性脳低灌流状態から白質傷害を経て認知機能障害に至る病態メカニズムは、多くの型の認知症において発症や病態増悪に深く関与していると考えられていることから、アストロサイトのTRPA1チャネルやLIFが関与する経路は、認知症に対する新たな創薬標的になることが期待されます。

    本研究は、米国東部時間2023年7月21日(金)14:00(日本時間 翌22日午前2時)に報道解禁となり、国際学術誌「Sciences Advances」に掲載されました。

  2. 背景

    近年、アルツハイマー病と診断された患者の大部分に脳血管障害が認められ、高齢者の80%超ではアルツハイマー病理に加え、脳血管疾患に関連する病理が共存するという報告もあることから、多くの認知症は少なからず両疾患の混合型であるとする疾患概念が支持されるようになってきました。近年提唱された『血管性認知障害(vascular cognitive impairment; VCI)』は「脳血管障害に関連して生じる認知機能障害」を意味する疾患概念です。一般的には、血管性認知症はもちろん、その前段階の認知障害の他、血管病理のあるアルツハイマー型認知症や軽度認知障害(MCI)も含みます。近年、脳血管の何らかの障害がアルツハイマー型認知症の発症に必要であると考えられるようになってきました。例えば、アルツハイマー病の発症につながるアミロイドbの蓄積があったとしても、それのみで発症するわけではなく、高血圧・脂質異常症・糖尿病などの生活習慣病による血管病変が先行していたり、背景にあったりすることで、アルツハイマー病理に至るという考え方です。実際、世界中でアルツハイマー病症例を大規模に解析した研究より、アルツハイマー病における血管病変はアミロイドbの蓄積やタウの異常リン酸化に先行する初期病態である可能性が示されています。

    また、高血圧・脂質異常症・糖尿病などの生活習慣病による血管病変は認知症の発症のみならず、認知症発症後の病態の増悪にも関わっていることが明らかになりつつあります。ある報告では、認知症と診断された約300人の患者を3群に分け、追跡調査をしたところ、生活習慣病を管理することで、2年半後の認知機能低下が大きく抑制されました。つまり生活習慣病を治療すると、認知症の発症も悪化も防げる、と考えられます。また、慢性脳低灌流自体も、単なる観察現象ではなく、治療対象となり得ることが明らかになりつつあります。例えば心房細動により、慢性的に脳血流が低下することや、認知症のリスクを高めることはよく知られていますが、その因果関係はわかっていませんでした。最近の報告では、心房細動をablationで治療することにより、脳血流低下が改善し、36ヶ月後において認知機能が改善したことが示されました。

    さらに、オリゴデンドロサイトが形成する髄鞘(ミエリン鞘)や神経軸索が密集している『白質』の異常が、中枢神経疾患の病態で注目されつつあります。例えば、認知症患者では白質の異常が灰白質(神経細胞体が密集)の萎縮に先立って観察されるので、白質病変は認知症の早期発見マーカーになると考えられています。認知症患者の脳を解剖すると、広範な神経細胞死が起きていることから、これまでは保護すべき対象として神経細胞が大きな注目を集めてきており、白質を保護する戦略はほとんど議論されてきませんでした。しかしながら、大脳白質病変が認知症の重大な危険因子である点を踏まえると、白質の異常をどのように制御し、どのように修復するかという観点からの研究が強く望まれています。

    このように、脳血管障害や慢性脳低灌流を防ぐことは、白質傷害を経て惹起される認知機能傷害の『予防』にも『治療』にもつながることが示されつつありますが、その病態メカニズムや内因性の防御機構は、ほとんど解明されていません。

  3. 研究手法・成果

    本研究では、脳血流を慢性的に低下させ、比較的緩やかに脳を低灌流状態にすることで血管性認知障害を引き起こすモデルとして、マウスの両方の総頸動脈に直径0.18 mmの微小コイルを装着して作成する両側総頸動脈狭窄 (bilateral common carotid artery stenosis, BCAS) モデルを用いました。このBCASモデルは、慢性脳低灌流、中枢神経系の過剰な炎症(CNS炎症)、白質傷害、認知機能障害といった血管性認知障害の代表的な特徴を再現できるモデルと評価されています。

    同研究グループは以前、脳の免疫細胞であるミクログリアに発現するTRPM2チャネルが、このBCAS手術による血管性認知障害に重要な役割を担っていることを明らかにしました (Miyanohara et al., J Neurosci, 2018)。中枢神経系には、他のTRPチャネルファミリーとしてTRPA1チャネルが発現しています。このTRPA1は、一般的にシナモンやワサビの受容体として知られ、温和な熱や活性酸素種にも感受性のあるイオンチャネルです。このTRPA1は、冷刺激受容体であるTRPM8チャネルや、触刺激受容体であるPIEZO1およびPIEZO2チャネルを発見した功績で2021年のノーベル生理学・医学賞を受賞した米スクリプス研究所のPatapoutian教授らが世界に先駆けて発見したことで知られるTRPチャネルです。脳における役割はいくつか報告はあるものの、認知機能障害における役割については不明な点が多く残されていました。

    そこで本研究では、TRPA1チャネルの血管性認知障害における役割に注目しました。はじめに、TRPA1遺伝子欠損マウスにBCAS手術を施して症状を観察したところ、手術後14日目という早期において白質傷害および認知機能障害が発症することが明らかとなり、これは野生型マウスでは観察されない早い時期でした。次にTRPA1刺激の効果を調べるために、TRPA1刺激薬であるシナモン主成分・シンナムアルデヒド(CA, 100 mg/kg)を、軽度な脱髄が発症し始めているBCAS手術後15日目から10日間連続で野生型マウスに投与しました。その結果、TRPA1刺激薬のCAを連日投与した群では、偽薬を投与し続けた群では観察される白質傷害や認知機能障害が、まったく観察されませんでした。

    また、BCAS手術によりアストロサイトの活性化が野生型マウスで観察されましたが、TRPA1遺伝子欠損マウスでは観察されませんでした。そこで、Cre-loxPシステムを用いて各細胞特異的にTRPA1を遺伝子欠損させて詳しく検討したところ、BCAS誘発白質傷害および認知機能障害はアストロサイト特異的TRPA1欠損によって引き起こされることが明らかとなりました。このことから、脳内においてアストロサイトのTRPA1が、病態に対する防御機構に重要であることがわかりました。さらに、BCAS手術による発現変動遺伝子群をRNA seqにより網羅的に調べたところ、アストロサイト関連遺伝子の発現変動が見いだされ、研究グループはその中でも、白質傷害に関連する白血病阻止因子(Leukemia inhibitory factor, LIF)に着目しました。さらなる検討の結果、BCAS手術により野生型マウスのアストロサイトで観察されたLIFの発現上昇が、TRPA1遺伝子欠損により減少することも明らかになりました。また、培養細胞を用いた検討により、TRPA1刺激を受けたアストロサイトの培養液をオリゴデンドロサイト前駆細胞(OPC)に移すことで、OPCの髄鞘形成能が促進されることも見いだしました。これらの結果から、アストロサイトのTRPA1は、LIFの産生を介して髄鞘形成を促進し、慢性脳低灌流による白質傷害やそれに続く認知機能障害の早期発症を予防する保護的な役割を果たしていることが明らかとなりました。

  4. 波及効果

    脳への血液供給が不十分となる“慢性脳低灌流”や、脱髄に代表される“白質傷害”は、今回紹介したアルツハイマー型や血管性の認知症の他、パーキンソン病、多発性硬化症、うつ病、統合失調症、てんかんなどの患者においても共通して観察されます。また慢性脳低灌流は高血圧・脂質異常症・糖尿病などによるアテローム性動脈硬化症の他、加齢や心疾患、低血圧によっても誘発され白質傷害に至りますが、これらは前述した中枢神経疾患との関連が示されています。

    今回の発見により、慢性脳低灌流から白質傷害に至る病態メカニズムの一端と、それに対する生体側の防御機構が明らかとなったことで、今後「白質を保護する」という防御機構に対してさらに注目が集まると考えられますし、認知症のみならず、他の様々な中枢神経疾患でも有望な創薬戦略になることが期待されます。

  • 研究プロジェクトについて

    本研究は科研費(JP19H03377, JP21K19334, JP18H04616, JP20H00491, JP20J20232)、日本薬学会長井記念薬学研究奨励支援事業(N-194402)、山崎香辛料振興財団、ロッテ財団、ノバルティス科学振興財団、小野医学研究財団、武田科学振興財団の支援を受けました。
  • 論文タイトルと著者

    The astrocytic TRPA1 channel mediates an intrinsic protective response to vascular cognitive impairment via LIF production (アストロサイトのTRPA1チャネルはLIF産生を介して血管性認知障害に対する内因性防御反応を媒介する)

    著者; 抱将史, 1,2 中島弘貴,1 戸堀翔太,1 川下綾香,1 宮之原遵,1 森島美沙,1 永安一樹,1 中川貴之,2,3 繁冨英治,4,5 小泉修一,4,5 森泰生,6 金子周司,1 白川久志1#

    1京都大学大学院薬学研究科, 2和歌山県立医科大学薬学部, 3京都大学医学部附属病院, 4山梨大学大学院総合研究部医学域, 5山梨大学GLIAセンター, 6京都大学大学院工学研究科, #責任著者

    掲載誌: Science Advances
    掲載日時: 米国東部時間2023年7月21日(金)14:00(日本時間 翌22日(土)2:00)

  • 研究者からのコメント(白川久志)

    「最近、アルツハイマー型認知症は、アミロイドbに対する抗体医薬品の新薬承認により大きな話題となっていますが、アルツハイマー型認知症を『脳血管障害』と捉える研究もまた、注目を集めています。しかしながら、このような脳血管障害としての病態にどのように対処すべきか、どのような治療薬を開発すべきか、という点は意外なほどに未解決のままです。今回の研究では、脳内で最も多く存在するグリア細胞であるアストロサイトが、TRPA1活性化からLIF産生、そしてOPCの分化促進というメカニズムにより、BCASモデルにおける白質傷害を防ぎ、最終的に認知機能障害への進行を抑制するという、白質に対する新たな保護機構を担っていることを明らかにすることができました。今後は、ファミリー分子の関与を詳細に調べると共に、他の認知症動物モデルと組み合わせることで、認知症の発症機構や防御機構の全体像に迫りたいと考えています。」

    連絡先:
    白川 久志 (Hisashi SHIRAKAWA) 准教授
    〒606-8501 京都市左京区吉田下阿達町46-29
    京都大学大学院薬学研究科生体機能解析学分野
    TEL 075-753-4549, E-mail; shirakaw@pharm.kyoto-u.ac.jp

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