ICEM 体験談
医学部 6年 森下 奏
本年2月、タイのコンケン大学において開催された国際救急医学コンペティション(ICEM)に、チーム和医大の一員として出場した。世界の医学生が救急医学の知識と実技を競い合うこの大会は、私にとって単なる学術的挑戦に留まらず、救急医療という「実践の学問」の本質と、日泰の医学教育における構造的ギャップを痛感させられる、極めて示唆に富んだ経験となった。
結論から言えば、我々和医大チーム、もとい全日本人チームは健闘及ばず、予選敗退という苦い結果に終わった。最大の要因は、大会で求められる能力の「実践性」に圧倒されたことにある。出題されたクイズは、極めて高度かつ臨床に即した内容であり、付け焼刃の暗記知識では到底太刀打ちできないものばかりであった。さらに、予選を突破したチーム(その多くは地元タイの大学であった)が挑んだ本戦のシミュレーション実技を目の当たりにし、その衝撃は決定的となった。
本戦では、模型を用いた院内心停止のシミュレーション課題が課されていた。チームの手際の良さは、まさに目を見張るものであった。リーダーの的確な指示のもと、寸分の無駄もなく胸骨圧迫、除細動、薬剤投与、原因検索が同時並行で展開していく。各メンバーが自らの役割を完全に把握し、流れるように動くその姿は、一朝一夕の訓練で身につくものではないことは明白であった。
この圧倒的な差はどこから生まれるのか。現地での交流を通じて知ったのは、タイの医学教育が持つ圧倒的な実践性であった。タイでは医学部4年生という極めて早い段階から病棟実習が課される。そこで彼らが経験するのは、日本の現在の医学教育のように「後ろから見学する」ことではなく、日本の初期研修医が担うような、実際の医療行為に深くコミットする超実践的なトレーニングである。彼らは日々、生身の患者と向き合い、自らの手で判断し、処置を繰り返している。その圧倒的な実践経験数の差こそが、今大会において「活きた経験」として結実していたのである。
少々突飛で、こじ付けがましい理屈かもしれないが、ここで日本の美学者・柳宗悦が『民藝論』で唱えた「用の美」を応用することを試みる。柳はその中で、「工芸の美は用(実用性)と交わる時に初めて健全に発揮される」とし、鑑賞されるためではなく、生活の中で使われる道具(民藝)にこそ美が宿ると説いた。そして、器を作る名もなき職人たちの卓越した技について、「規則や計算による作為ではなく、何万回と繰り返される実務の果てに、手の動きそのものが自然の法則と一体化した『無心の直観』である」と説明している。
一見、遠く離れた世界にある救急医学と民藝だが、ここには本質的な3つの共通点が存在すると考える。
第一に、「実用(用)」がすべてであり、そこにしか美(正解)は宿らないという点である。民藝が日々の生活で使われてこそ輝くように、救急医学もまた、目の前の患者の命を救うという臨床現場で機能して初めて意味を持つ。教科書的な綺麗な知識を「鑑賞」するのではなく、現実に役立つことだけが絶対的な価値となる。
第二に、「作為(頭での計算)」を排した、「無心の直観」のスピードである。職人が頭で計算(作為)せずに手を動かすように、一分一秒を争う院内心停止の現場では、頭で理屈をこねる時間は許されない。肉体化された知識が、条件反射レベルの「無心の即応性」として表出しなければ、命の危機には間に合わない。
第三に、個人ではなく、システム(伝統・チーム)に支えられた「無名の力」である。民藝の美しさが天才一人ではなく、代々の伝統や職人集団のシステムに担保されているのと同様に、救急救命もまた、洗練されたプロトコルとチーム全体の有機的な連携によって成し遂げられる。
本戦で躍動していたタイの医学生たちの姿は、まさにこの共通点を体現する職人のそれであった。彼らは4年生からの過酷な病棟実習という「用」の海に身を投じ、日常的に現場で身体を動かし続けてきた。その結果(無論、今大会に対しての準備もあるだろうが)、頭で考える「作為」の段階を通り越し、彼らの肉体に完全に溶け込んだ「無心の妙技」へと昇華されていたのであろう。
ひるがえって、日本の医学教育の中にいる我が身を省みる。私たちは知識の量・思考の質において決して劣ってはいないはずだ。しかし、それを臨床現場で瞬時にアウトプットするための「経験の肉体化」という点において、決定的な遅れをとっているのではないか。今回の予選敗退は学問的な敗北ではなく、教育システム、そして何より私自身の「臨床実践への飢え」を浮き彫りにする貴重な契機となった。タイの学生たちが示した、あの無駄のない「用の美」を宿した手際を目標に掲げ、これからの歩みを進めてゆく決意である。
最後になりましたが、今回このような貴重な経験をさせていただけたことに心より感謝申し上げます。引率をしてくださった救急集中治療部の井上先生、国際交流センターの林さん、ICEMの運営や参加者のサポートをしてくださったコンケン大学の学生など、お世話になった多くの皆様、本当にありがとうございました。
