カナダ留学紹介
池田達志
留学は兼ねてから思い決めていた訳ではなかったが、それまでやってきていた英語の練習などが留学の準備に繋がっていて、それが功をそうした。今年の春頃に友人が本当に留学を画策しているということで自分も進められ、その気になり、最終的にカナダ行きが決まった時、信じられなさとそれを上回る喜びを感じた。そして、友人と周囲の人々の働きかけのおかげで掴み得た好機なので、人の影響の重要性を知った。海外にほとんど行ったことがないため実感を持たないまま、出国の日が来て、カナダへ行くことになった。飛行機でカナダのバンクーバーへ一旦着いたのち乗り換えてトロントへ向かうのだがそこで留学ビザがないということで足止めされ遅れてしまい元とは違う便に替えた。その時キャリーバッグが自分達と別れてしまい、ほぼ全ての必需品をキャリーに入れていたために、人だけトロントに着いた形となり、三日程は着の身着のままに近い生活となった。カナダでの生活は、その友人とのルームシェアであり、非常に多くのことを教えてくれた。それは、日常生活の諸事から始まり、人との関わり合い方までも含み、自分よりも高いレベルにいる人と共に生活することが素晴らしいことであると分かった。自分一人では成し得なかった経験が友人を始め周囲の人々のおかげで得られたことを実感できたのは大きな収穫であった。
研究室では、インド人系の方々が多いラボに所属させてもらい、インド風の英語を話すフィルシーさんという女性の元で休みの日を除いて約35日間研究させてもらった。彼女にはまだ幼い二人の息子とシェフであり神父でもある夫がいて、プロテスタント系キリスト教を信仰している。また彼女の父親も神父であった。そのため幼い時から父親の影響を受け、現在でも日曜日に家族と共に教会へ集い、ミサに参加して賛美歌を歌うのを習慣としているようであった。時々実験の合間に宗教について尋ねるといろいろ教えて下さった。自分は、他の日本人と同様厳格でない仏教徒であり、他宗教にも興味があって、かつ英語の勉強にもなるので喜んで熱心に聞いていた。自分の解釈をできるだけ抜いて書くと、『人は普段の生活において良く生きようとする。でも、時々上手くいかなくなる。その時神(彼女にとってはキリスト)から良いパワーをもらえば(もらっているのだと感じれば)上手くいく。自分で全てやろうとするのではなく神からのご加護をもらって生きても良い。そして、それが上手くいけば、そう信じればいい。それは、その人の自由だ』というような感じであった。子供達は一緒についてくるが同年代の子と遊んでいることが主であり、大きくなった時に神父の言っていることの意味などが徐々に分かっていったら良いと言っていた。キリスト教の力というより、彼女にとっては日曜日の礼拝が全く別の職業柄の女性達との交流の場にもなっているようで良い息抜きであり、インド人の気質によるところもあると思うが自分の知っている日本人よりも細かいことを気にせず、実験においてもざっくり必要なところだけザクザクと進めていくところに感銘を受けた。
その研究室には、他にも同じ教授の元で研究している人が三人いて、二人はインド系の女性、一人は中東系の男性であった。彼の名はアミューと言い、年は25歳前後と思われるが、はっきりと聞く機会は無かった。カナダで生まれ育ったので、ナチュラルな英語を話した。彼の両親が昔中東の田舎の方に住んでいて、フレディマーキュリーのゆかりの地と近い場所であることが判明して盛り上がったことがあった。彼は本当に気さくで面白い人で、自分とも些細な話題でも話をしてくれた。そして、フィルシーさんの代わりにたまに監督を務めることがあり、それは時々しかないことも後押しして、いつも以上に楽しく、実験の結果はさておき、一緒に実験しているだけで満たされ、貴重な経験の中にいる心持ちになった。
実験はなんとか上手くいき詳しい内容を書くのは控えるが先行研究で示されていたことを再現できたので次からはマウスを用いた実験に移行するようである。
最後にトロントで過ごした印象を述べる。トロントは、半径5kmの範囲に中国、韓国、イタリア、インド人街などがモザイク状に存在しており、隣接しながらもお互いの文化を干渉したり牽制することなく、境界線が引かれているわけでもないが独立して成立しているのが特徴的であった。様々な国の文化の一端に触れることができるので、街を歩き回るといろいろな国を歩いて旅している気分になった。気候はさっぱりしていて心地よかった。
共に時間を過ごした友人には本当にいろいろ助けられ教えられることが多々あった。そのことも自分にとって留学で得られた体験から切り離せない重要な根幹を成した。