倫理学

1年生前期、人文社会科学系、月曜日2時限

最終更新日: 2017/10/21, スライドへのリンクを削除。

基本的考え方(どんな授業?)

倫理ないし道徳と、 倫理学ないし道徳論とは、 似ているようで実は異なります。 私たちは、 「……するのはよい」「……してはいけない」といった類の言明を、 別に特殊なものとしてではなく、 日常的に行ないます。 そして、 たいていの場合、 そうした判定に則した行動をします。 さらには、 個々人のレベルのみならず共同体のレベルでも、 「……するのは認められない」「……するのは望ましくない」といった 同じような類の規範が存在します。 そうした判定・規範、およびそれに則した行動はきわめて枢要なものであって、 仮りにそれらに外れたことしかできないような人間がいたとすると、 その人は場合によっては生物として存亡の危機に瀕するでしょう。 ところが、 たとえば同じ地域であっても、 時代によってそれらが変化したりもします (以上の事柄が、 意識化されるかどうかは別の話です)。 倫理ないし道徳というのは、 こうしたものに相当します。 そして、 倫理学ないし道徳哲学とは、 こうしたものを問題化する作業だと言えます。 問題化するとは、 ことさらに、 努力して、 顕在化するということであり、 意識化するということです。 さらには、 構造を探ることであり、 根拠を探ることでもあります。

倫理学は、 必ずしも、 「…が善であり、…が悪である」ということを 主張するものではありません。 最終的にそうした主張が提示されることはありますが、 結果的に出てくるそういう主張が大事なのではありません。 むしろ、 そうした主張の根拠と由来を粘り強く尋ね続けることのほうが、 倫理学にとっては大事なことです。

したがって、しばしば誤解されるのですが、 倫理学の授業は倫理を教えるのではありません。 これは大事な点なのだが、 分かっていない人がかなり多い。 倫理学の授業は、 倫理学の営みを展開するものです。 そしてその展開は、 あくまでも私による展開です。

また、 ある人物が倫理学の授業を担当しているからといって、 その人物が人格高潔、 有徳の人であるとはかぎりません。 そんなことは、 私を見れば一目瞭然です。 そうでしょ、諸君。

授業は、 プレゼンテーション・アプリケーションを用いて、 基本的に講述形式で行ないます。 私は普段、 出席をとったりしません。 時間の無駄。 私の趣味にも合わない。 大学の授業は、 「自分のために、 自分で学ぶために、 参加する」ものです。 出席なんぞをとると、 教室の空気が澱む。 そうはいっても、 話の流れというものがありますから、 理解のためにも、 あんまり欠席しない方がいいでしょう。 よく欠席しているけどねえ、 諸君。

授業の具体的テーマ:信頼と責任

医学部の学生が対象だからといって こういうテーマでなければならないわけではありませんが、 「医者と患者の信頼関係」とか「信頼される医者」といった日本語は異様なほど広範囲かつ頻繁に用いられるので、 こういうテーマを立てて反省的かつ批判的に検討してみることにも充分意味があるでしょう。

「あれ? なんで『責任』ていうのがくっついてるの?」と思った人もいるかもしれません。 これは実は、 当然くっついてくると言ってよいのです。 そこらへんの事情は授業で話します。

20世紀の後半あたりから、 「信頼」も「責任」も哲学・倫理学のみならず様々な領域であらためて議論されるようになりました。 きっとこれからもそうでしょう。 そうした議論を紹介しつつ、 概念的分析を基本とし、 ときに医学医療の分野に目配りしながら、 論じていきます。

授業用スライドなど

以下に掲載するのは授業で用いたスライドです。 ご参考までにどうぞ。 なお、 授業終了後にそれが必要だと私によって判断された場合、 改訂されていることもあります。

このpdfファイルは、 Libre OfficeにおさめられたPresentation ApplicationであるImpressからexportして作成したものです。 リンクをクリックすると、 授業時に言ったパスワードの入力を求められます。

授業時には紙媒体資料も配布していますが、 それはここには掲載しません。


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