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華岡青洲の診療所兼医学校 春林軒

華岡青洲が全身麻酔による乳がん手術を成功後、全国各地から集まってきたのは患者さんだけではありませんでした。青洲の華岡流外科を学ぶために、たくさんの入門希望者がやってくるようになりました。それまでの住居はたちまち手狭となったため、青洲は建坪220坪の「春林軒」を新築しました。春林軒は大正時代に移築されましたが、平成9年に建築当時の場所に復元され、現在では青洲の偉業を顕彰する「青洲の里」の中心施設となっています。

春林軒主屋

春林軒には住居・診察室・手術室・講義部屋として使われた主屋、薬調合所、病室、看護婦宿舎などが備わっており、診療所というより、医学校としての形態がすでに整っています。この春林軒と、後に大阪に作られた分校(合水堂)に学んだ門人の数は2000人あまりにおよび、全国60余州のうち入門者のなかったのは九州の壱岐の国だけだったそうです。

春林軒見取り図。
1主屋、2薬調合所、3用務室、4病室、5米倉、6看護婦棟、7物置、8案内所、9蔵

青洲は修行を終えた門下生たちに免状を与えましたが、その際に教えをみだりに他人に教えないことを誓わせた「奥伝誓約文之事」を提出させました。青洲の行いを狭小な秘密主義と批判する輩もいるようですが、それは浅薄な考え方です。春林軒で伝授される高度な医療が未熟な術者によって行われることを危惧したゆえであり、至極まっとうな考え方と言えるでしょう。 こうして春林軒を巣立った門人たちは故郷で華岡流の医術を施し、多くの人々を救済しました。


奥伝誓約文之事、青洲の里所蔵