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華岡青洲の理念

華岡青洲は一流の医学者であるとともに、漢詩をたしなむ文化人でもありました。青洲の漢詩や書には彼の理念が見事に言い表されており、代表的な作を紹介します。

竹屋蕭然烏雀喧ちくおく しょうぜん うじゃく かまびすし

風光自適臥寒村ふうこう おのずから かんそんに がすにてきす

唯思起死回生術ただに おもう きしかいせいのじゅつ

何望軽裘肥馬門なんぞ けいきゅう ひばのもんを のぞまん

これは門下生が春林軒を卒業する際に渡された青洲の自画像に添えられた漢詩で、医師としての心構えを諭したものです。その意味は、「私の家の周りでは鳥が鳴き、私にはこのような田舎に住むことが合っている。ただ思うことは、瀕死の患者を救う医術のことだけである。高い着物や肥えた馬といったぜいたくは望まない」ということです。実際、青洲の生き方はこの詩の精神そのままであり、時の紀州藩主徳川治宝より侍医となり城下に住むことを求められた時、「我仕官を望まず、山中に隠居して随意に治療いたし術を研きたく思うが故に・・・」と述べ、故郷平山での診療を続けたことでもそれが分かります。

内外合一ないがいごういつ

活物窮理かつぶつきゅうり

青洲の医療に対する考え方を示した言葉です。内外合一とは、「外科を行うには、内科、すなわち患者さんの全身状態を詳しく診察して、十分に把握した上で治療すべきである」という意味です。活物窮理とは、「治療の対象は生きた人間であり、それぞれが異なる特質を持っている。そのため、人を治療するのであれば、人体についての基本理論を熟知した上で、深く観察して患者自身やその病の特質を究めなければならない」という教えです。内外合一、活物窮理はわずか八文字の言葉であるが青洲の医療理念であり、人生哲学でもありました。

青洲の時代に比べ、現代の医療技術は格段に進歩しました。しかし、専門性が高まるあまり、自らの専門分野以外には対応できないあるいは対応しない医師の存在、マニュアルに沿った診療しかできない、病気を診て患者を診ない医師の存在が問題視されています。現代医療が失ったものこそ、"内外合一、活物窮理"の精神といえるでしょう。

青洲肖像、朧渓画、青洲の里所蔵