これは門下生が春林軒を卒業する際に渡された青洲の自画像に添えられた漢詩で、医師としての心構えを諭したものです。その意味は、「私の家の周りでは鳥が鳴き、私にはこのような田舎に住むことが合っている。ただ思うことは、瀕死の患者を救う医術のことだけである。高い着物や肥えた馬といったぜいたくは望まない」ということです。実際、青洲の生き方はこの詩の精神そのままであり、時の紀州藩主徳川治宝より侍医となり城下に住むことを求められた時、「我仕官を望まず、山中に隠居して随意に治療いたし術を研きたく思うが故に・・・」と述べ、故郷平山での診療を続けたことでもそれが分かります。
青洲肖像、朧渓画、青洲の里所蔵